また申し訳ないがここで時間をやや遡らせる。

発射されたシオンの弾丸は狙いを違える事無く風鐘が創り出す時の海、その中心部に着弾した。

それと同時に弾丸に加工された槍鍵がその力を発揮、轟音も閃光も起こらないが四方に向けて放たれる衝撃波にシオンは為す術もなく吹き飛ばされる。

それでも木や岩に叩きつけられる事も無く、地面を転がるだけだったのは不幸中の幸いであるが。

シオンが起き上がった時、前方の地面いっぱいに覆われていた時の海は消え失せていた。

「ふう・・・終わりましたか・・・」

誰とも無くそう呟いた時

(なるほど・・・かなりの威力だな・・・大言を宣言するだけの事はある)

「!!」

時の海もろとも消し飛んだ筈の風鐘の声が響き渡った。

(危うかったな・・・我が最終能力の力がなければ今の攻撃で私も消えていたな)

その言葉と同時に地面からあのドス黒いコールタールを思わせる時の海が懇々と湧き上がる。

「なっ!」

大きく距離を取るシオンを追う様に時の海が先程よりも大きく一帯をどす黒く埋めていく。

それを追う様に時の海も広がりを見せる。

「こ、こんな事が・・・」

(出来るのですよ・・・八妃、我が最終能力の力だからこそ・・・時の狭間に漂うこの海を現に表しているからこそ・・・)

極めて抽象的な言い方だったが、シオンにはそれで十分だった。

「まさかとは思いますが・・・これはその時の狭間に漂う海の一部だというのですか?」

それでも僅かな否定の希望を込めてシオンが尋ねる。

(訂正してください・・・ごくごく一部ですよ)

それを風鐘はシオンの期待とは正反対の否定をして見せた。

愕然となる。

あれだけの量ですらごくごく一部だというのなら、本体は一体どれだけの量だと言うのだろうか?

唯一つはっきりしている事は今のシオンの装備で時の海を全て打破する事など不可能。

(いや)

全ての分割思考が勝ち目など無しと告げる中、それでも意思を奮い立たせ銃を構える。

勝ち目など無いと判っている戦いほど、精神を磨耗するものはそうそう無い。

それがありとあらゆる可能性を見通せる事ができる錬金術師ならばなおさらだ。

だが、それでも戦う意思を失わなかったのは一重に志貴の存在があった。

(死ねない・・・私を吸血種の呪いから救い上げてくれた志貴に私の想い全てを打ち明けるまでは・・・絶対に・・・死ねない!)

例え絶対的な絶望を目の前にしていても、彼女には死ねない理由と死にたくない意思があった。

生き残らねばならない。

たとえ圧倒的かつ絶望的な不利な状況であっても。

そのために必要不可欠なもの・・・それは時間だった。

本当に相手を打破できないのか否か、打破できるとしてその方法は?

否、そんな事を考えるのは後回しだ。

少しでも打開策を見出す為に時間が必要、そう決断すると後は素早かった。

弾倉に残っていたありったけの弾丸を撃ちこみ、再び現に引き上げられたタタリを蜂の巣にしてからリロードを行い、遠距離の相手には銃弾を、接近してきた敵にはエーテライトが鞭の様に翻り退けていく。

それに怯む事無く風鐘も次々と時の海から引き摺りあげてシオンに雪崩の如く殺到していく。

無論シオン自身もそれを迎え撃つ訳も無く、可能な限り動き回り、時には木の陰や草むらに飛び込んで遮蔽物にして風鐘の猛攻をかわしてく。

「くっ・・・きりが無い・・・」

そう言いながら何度目かのリロードをしていく。

シオンの声や表情には焦りがあった。

時の海から湧き上がる敵を次々と駆逐していくが、その数は一向に減る気配が無い。

いや、それ所か数がどんどん増えている。

もしや無限ではないのかと言う疑念すら持ちたくなるほど。

挟み撃ちなど序の口、何体もの敵に一斉攻撃や短時間での波状攻撃も受けてきた。

それに対してシオンの全身は切り傷や打撲でコーティングされていく。

だが、それでもシオンの内にかすかな灯火の様に瞬く希望があった。

それは何故このような能力を土壇場まで使用しなかったのかと言う事。

その気になれば志貴との戦いの時も、そして自分の時も最初から使えばよかったのに、志貴の時には全く使わず、自分の時にはギリギリまで温存してきた。

自分たちで遊んでいたという可能性も捨てきれない(現に志貴の時は志貴の覚醒が目的だったらしい)が、それを否定する台詞を風鐘本人が言っている。

『他の全員も退路を絶ったようですから私も絶つとしましょう』と。

この退路と言うのがどういう意味なのかはシオンにはわからない。

だが、この能力の使用が風鐘にとって極めて重大な決断を伴っていた事は間違いない。

それを見極めなければならない。

だが、相手はシオンに思考をさせる暇すら与えなかった。

シオンが隠れていた木を彼女ごと吹き飛ばす。

「きゃああ!」

まさしく不意をつかれ悲鳴をあげるシオンだったが、直ぐに体勢を立て直し至近にまで接近していた敵をまとめて撃ち抜く。

傍目から見ればシオンが徐々に追い詰められているようにも見えたが実はシオン以上に追い詰められているのは風鐘の方だった。

(まずい・・・ここまで粘られるとは・・・)

シオンは時の海の無尽蔵さに心を折られかけたが、風鐘はシオンの粘りに焦っていた。

最終能力は己の魂魄を捧げて初めて可能とするやり直し不可の力。

それ故、この能力を使用した時の末路はただ一つ、能力者の消滅に他ならない。

(もう一刻の猶予も無い・・・まもなくわが魂魄は消滅する・・・)

決断を下せば後の実行は容易かった。

(翁よ!!構うな!臆するな!その身、我が魂魄、我らを形作る全てが朽ち果てるまで時の海を現に引き上げよ!)

風鐘の声無き号令に時の海はその面積を増し、そこから次々と引き上げられていくありとあらゆるシオンに深き関わりを持つ者達。

「!!まだ出てくるのですか!」

シオンも焦っていた。

エーテライトはまだ大丈夫だとしても、銃の残弾は既に後一発。

何よりもダメージは見た目以上に大きい。

これ以上の回避はもう不可能に近い。

「・・・」

静かに頷く。

最後の一発に全てを賭ける。

動かなくなったシオンの命を刈り取ろうと一斉に襲い掛かる。

「・・・!!ロック解除!!ガンバレルフルオープン!!」

ブラックバレルから発射されたそれは出来損ないを貫き、時の海に再び着弾する。

それて同時にあの衝撃が辺り一帯を薙ぎ払う。

弾丸はリーズバイフェの槍鍵を加工した特殊弾だった。

シオンが念の為に創っておいた隠し弾。

疲労とダメージの蓄積していたシオンも為す術も無く、大木に背中をしたたかに打ちすえられる。

「がはっ!」

衝撃に咳き込む、だがその威力は十分過ぎた。

再び時の海は消え失せていた。

だが、もし時の海が湧き上がればもうシオンに勝ち目は無い。

弾を全て使い果たし身体もろくに動けそうに無い。

(ふ、ふふふ・・・貴女の・・・勝ちですよ)

だが、シオンの内心の声を否定するように風鐘の声が響く。

(時の海が完全に打ち消されるとは・・・それも二度も・・・もう私には時の海を呼び出せない・・・)

「くっ・・・もう・・・終わりですか・・・」

(ええ・・・私の魂魄は尽き果てるのみ・・・ですがこの子には罪も責も無い・・・さあ・・・お前は行きなさい・・・輪廻の輪に・・・還りなさい・・・そして後世では幸福な生を全うして下さい・・・それが・・・私の・・・最後の願い・・・です・・・)

その声を最後に風鐘の声は消え失せた。

だが、風鐘の最後の祈りを応じる様に一陣の風が通り抜けた。

その風は不思議なほど暖かく、不快を与えないものだった。

「・・・」

暫し呆然としていたシオンだったが直ぐに傷付いた身体に鞭打ち立ち上がるとおぼつかない足取りで歩を進め始めた。








「そうでしたか・・・ではシオンも・・・」

「はい、それよりも急ぎましょう・・・志貴の元に」

「ええそうね。正直何処まで兄さんの役に立てるかは不明だけど」

秋葉に肩を貸しながら聖堂に向かう秋葉達の背に

「秋葉さん?それにシオン・エルトナム」

シエルが追いつく。

「あらシエル先輩」

「代行者、貴女も遺産とは戦いを?」

「ええどうにか退けました。ですが被害も少ないものではありませんでした。第七聖典を酷使してしまいまして・・・暫く使用は出来ません」

見れば確かに重火器状態の第七聖典は至る所で煙を噴き出している。

と言うか心なしか火花まで散っている。

そういった事に極めて疎い秋葉でも酷使した事が良く判る。

「代行者でもそこまで手を焼いたのですか・・・」

「ええ、それよりも急ぎましょうか」

「はい」

「そうですね」









その頃・・・

「あぐっ!!」

もう何度目になるか判らないが沙貴が獏の一撃に吹き飛ばされていた。

その全身は打撲だらけで見ているだけでも痛々しい。

だが、それと比較して青子は最初の時とさほど・・・いや、全く変化はない。

だが、これは青子が沙貴を盾にしている訳ではない。

最終能力を使用してから獏は青子を完全に無視し沙貴にその標的を集中していた。

どれだけ魔力弾が命中しても、時には吹き飛ばされても青子には強制的に招聘した異生物のみを当て獏本体はひたすら沙貴をめざしていた。

「あははっ!いい気味!!見なさいよ、あの無様な格好!」

「本当!少しは溜飲が下るというものね!」

全身傷だらけの沙貴を獏の頭上から嘲笑する紅玉、青玉姉妹であったがその姿は沙貴よりも壮絶なものと化していた。

全身のほとんどが何かに吹き飛ばされたり抉り取られ、その美貌は半分皮膚が剥ぎ落ちたり眼球が神経一本だけで繋がったままぶら下がり、見る影も無い。

砕けた骨も肉体を突き破りその先端を覗かせ、どちらが獏の猛攻を受けたのか全くわからない。

「さあ獏!!踏み潰しなさい!!」

「あの女を原型も留めないくらいぐちゃぐちゃにしちゃって!!」

狂った姉妹の叫びを獏は一声吼える事で応じると巨大な前足を沙貴目掛けて振り下ろす。

それに対して沙貴は微動だにしない。

「死ねない・・・私・・・まだ死にたくないわ!」

絶望に沈み込んでいると思われた沙貴の口から感情の露にした声が振り絞られるとその全身を破滅の光で覆う。

そのまま鈍痛が絶え間なく襲う身体に鞭打って獏の足をかわすとそのまま足に抱きつく。

精一杯手を伸ばしても半分も届かない、柱のような足にすがりつくと同時に『破壊光』を発動、密接している部分だけは砂の様に粉々に破壊される。

「ああっ!!ま、まだ!」

「あぐっ!!こ、このしつこいわよ!」

沙貴の反撃に苦悶の声と激昂の声を発した姉妹だったが、直ぐに獏は健在な足をもって沙貴を改めて踏み潰すにかかる。

だが、それも

「スフィア、ブレイク!」

第三者からの一撃で阻まれる。

側面からのまさしく不意打ちに獏は身体を大きく仰け反らせる。

その隙に沙貴は安全地帯まで撤退していた。

「沙貴大丈夫・・・じゃないわね・・・全くひどい事するわね。まだ嫁入り前の子に・・・あっ、もう志貴の伴侶も同然か。これから先も志貴に可愛がられているんだから」

「!!あ、青子先生!!」

「冗談よ。それよりも・・・あれをどうするかね」

その視線の先には体勢を立て直し破壊された足を完全に再生させた獏の姿があった。

「しぶとい女ね・・・いい加減観念して押し潰されたらどうなの!」

「それとそっちの余所者!あんたは私達とは無関係なんだから大人しくしてくれる!それとも・・・そんなに死にたいのあんた!」

声を荒げて沙貴と青子を憎々しげに睨み付ける。

その憎悪に呼応するように咆哮する獏。

「あらら、ありゃ完全に切れているわね。どちらにしてもこれ以上の長期戦は不可能ね・・・沙貴、これで決めるわよ」

「はい」

一つ大きく頷く。

「青玉、もう異生物は必要ないわ。私達の最終能力を最大限使って二人まとめて潰すわよ」

「ええ判ったわ。姉さん・・・さあ獏!躊躇いも恐怖も捨て去りなさい!」

「お前が受ける傷も痛みも全部私達が変わりに受け付けるからあれを潰しなさい!」

突撃の命令を受けて他には目もくれず沙貴と青子に迫る獏。

「行くわよ。こっちも出し惜しみなし!これで最後だと思いなさい」

「はい!」

そう言うと同時に沙貴の全身が漆黒に塗り替えられる。

「じゃあ私から行くわよ・・・スフィア!」

まず右手から放たれた一撃が獏と正面からぶつかる。

「ブレイク!」

矢継ぎ早に左手からの一撃で獏の突進が抑え込まれる。

「スライダー!」

止めとばかりに足から放たれた今まで最大級の一撃が獏を斜めに貫通する。

「あぐっ・・・」

「がはっ・・・」

この三連続攻撃に流石に足を止め傷の修復に当たるがそれを許す筈もない。

「まだよ・・・セイン」

突如獏を閉じ込めるように光の檻が形成される。

「・・・タイムレス・・・」

重力と言うものを完全に無視したように獏を閉じ込めた檻がゆっくりと浮き上がる。

「ワーズ!!」

同時に檻そのものが光弾と化し、閉じ込められた獏に襲い掛かる。

獏には回避する術もなく全て直撃を食らう。

そして、檻が解除され重力に従い落下する所に、

「はああああああ!!」

残された力の全てを結集して作り出された『黒天使』が天を舞う。

獏も損傷の少ない足で沙貴を叩き落とそうとするが、それを破壊し獏の脳天から尻へと縦に貫通した。

そのまま獏は体勢を立て直す事もできず地面に墜落した。

沙貴もまた地面に着地すると同時に『破壊光』は消えるがそのまま苦しげに蹲る。

痛めつけられた身体と消耗した力では『黒天使』は相当量の負担となった様だ。

一方、獏も渾身の力を振り絞って立ち上がろうとするがそのまま力尽きた様に地面に倒れ付した。

「・・・終わったみたいね・・・」

(ええそうよ・・・)

(もう私達の魂魄の力も尽きたわ)

紅玉、青玉の声が青子の呟きに応じるように辺りに響く。

「・・・どうしてですか?どうしてそこまで神の為に尽くせるんですか?」

(簡単よ。私達に儚くとも希望を与えてくださった方に忠誠を尽くすのが私達にとって冒す事の出来ない誓約)

(例え利用されていたのだとしても、私達にとってはこれが最後の意地の様なもの・・・退く事なんて出来ないわ・・・)

「・・・」

(ではこれで・・・正真正銘本当の消滅・・・お別れよ・・・ああそうだわ七夜沙貴・・・貴女に言う事があったわ)

(ふふふ・・・七夜沙貴・・・せいぜい足掻きなさい・・・そして肝に銘じなさい・・・私達には・・・『凶夜』の烙印を押された女には幸福なんて来ないという事を・・・)

その声を最後に獏は空気に溶け込む様に消滅し、声も聞こえなくなった。

「終わったわね・・・って!沙貴」

大きく息を吐きあたりを見渡すと沙貴が地面に倒れていた。

緊張の糸が切れて気絶したのだろう。

「全く・・・仕方の無い教え子よね・・・」

口ではぶつくさ言いながら沙貴の身体を肩に抱える。

「お姫様抱っこは・・・止めておくか。それは志貴の役割でしょうし、沙貴もがっかりするでしょうから」

意外に軽い沙貴を抱えたまま青子は先を目指し歩を進め始めた。

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